心身ともに《豊》な《未來》を!

アラカンからの挑戦

[芝居] 勝手極まりない感想です。


東京公演前楽日マチネに行ってきました。今回は一回限りの真剣勝負で舞台観賞をしました。なにしろ女殺油地獄の歌舞伎で立ち上がれない程の感動を受けてしまったのですから、これをどう調理するのか演出も楽しみ。

でもでも、期待に反して残念ながら辛口批評になってしまったので、畳みます。




役者、舞台装置、音響、照明、すべて良し!!どこをとっても欠点のない配役じゃないですか?この舞台をオリジナルとして観れたらどんなに良かったか。そこでの未來さん、最近の若者っぽい若者で、無差別殺人も辞さないような短絡的で直情型で、自分の事以外は無関心。それでいいです。うまく演じてました。


家族関係も濃いのか薄いのか。変に笑いなんか取っちゃって。親の愛情の空回りっぷりは見えてきましたね。複雑な人間関係も薄く見えてきました。みんな、うまく演じてました。セリフもはっきりわかりました。


でも、でも、でも、これは女殺油地獄をベースにしたのでしょ?なんでわざわざ完成している、究極に完成している作品をベースに味付けを薄めたの?ずるいよね。これって。


だって中身同じなんだもん。時代と場所を変えただけで、舞台の設置も、登場人物の関係性もみーんな同じでそれを現代風にアレンジ(?)しただけ。いや、薄めただけ。


最後の圧巻なはずの殺戮場面。
ただの人殺しじゃないですか???
ただの人殺しが人を殺すのをじっと見守る???
それも原作のように長々と引き伸ばして!あれは殺意が狂気に変わって行く様が見事に演じられ、最後には「美」となっていくために必要な長さであって、ただの殺人には必要ないでしょぉ。


耐えられなかった。こんなの見たくないと思った。演じてくれなくていいと思った。もう1回は観たくないと思いました。残念なことに。


本当は時代には左右されない普遍的なものを女殺油地獄ではテーマにしていたハズなのに、簡単に薄められちゃってる。だから全ての動機が緩くてついていけない。愛憎、親子関係、殺意と狂気。セリフ回しのテンポよさだけで終ってしまった。


倉持さんは推理小説を書かせたりしたらすごく上手そう。プロット、プロットと作品のプロットにこだわりすぎ。この原典をもプロットに分けちゃって、これだけ抑えておけばOKみたいな完結さ。作品からにじみ出るなんとも言えない虚しさ、抑え難い狂気、それが昇天して出来た美というものを薄めたみたいですね。


ごめんなさい。見終わって怒りを覚えたのはこの作品が初めてです。娘も同様に怒ってました。私がチケットをお譲りした見知らぬ方も怒ってました。みんな女殺油地獄が好きなのと、なぜこれをベースに芝居を作ろうとしたのか疑問だらけだからなのです。


「古典をベースに何か作ってみたら?」と話をもらったから…?????


さらに辛口で行けば、カタログ上で役者さん達が皆、倉持さんの演出がとても楽しみで、シナリオがとても良いと褒めていました。演じている側はきっとそれでいいのでしょうが、何も伝わってきませんでした。だって外側を見事に全部借りちゃってるんだもん。


もっと何かオリジナルなものを見せて欲しかった。大きな器の中でゲームをしちゃったよ、みたいな作品は観たくなかった。


相当な辛口ですよね。すみません。
でもそのくらいがっかりしてしまったので…。
役者さん達は皆ものすごく素晴らしかったのですが、悪いのはシナリオです。


ちなみに…。


松田優作が出演していた映画、あれも駄目でした。人間の多面性が出ていない。ただの悪人、生まれつきのしょうもない悪人として描かれていました。そうじゃないと思います。そうじゃないからこそ、人間の複雑さが描かれた作品だと思うのです。


なんかすごく思い入れが強いですね。
ぜひ、仁左衛門の「女殺油地獄」を観て欲しいと思います。


人間のどうしようもない多面性、逃げようのないシガラミ、殺意から狂気への美に至る過程の凄さがこの作品の本質だとしたら、それを全て薄めた芝居だったとどうしても思ってしまいます。


現代だから?意味もなく人を殺す時代だから?私は納得できません。