- 20歳の素晴らしい若者
自分が20歳だった頃、たぶんいろいろな事考えてた。世界史で大学を受験したりしたもんだから、キリスト教やイスラム教やユダヤ教や仏教についての上っ面だけは興味あったし、いろいろな作家の本*1を読んだり、大学で宗教をがっちり持ってる友人に出会ったりして、その意見に反発したり同意したりしながら自分なりの世界観を作り上げてきたと思う。
未來くんは、バットボーイを演じるに当たってきっとすごく多くのことを考えたんだろうなあ。聖書の詩編だの、牧師さんに魂を清めてもらうだの、作品自体が宗教色出てますものね。しかも、それをパロディってるというか、ブラックに解釈してる作品だったりするわけですし。また、作品の根っこにある「赦し」「救い」というものについても随分考えたんでしょうねえ。
「確かに、あればそれなりに楽なんやろうな、なんて思いました」(みぃくん語る)
未來くんのエドガーにだれにもマネできない魅力があったのは、もちろん、彼の研ぎ澄まされた精神や鍛え上げられた肉体にもあるだろうけど、こういう心の葛藤があったからかもしれないなあ、と思いました。そしてそれが演じているうちに本人さえ気がつかないまま、人の心をとらえて離さない歌になり、声になってエドガーができ上がっていたんだと思います。*2
再演がかなう日が来るとしたら、今度会うエドガーは、こういう思いを通り超えた上に現れるエドガーなんでしょうね。また、絶対に会いたいな。
- 死生観
私がしばし大はまりしていたベジャールの「20世紀バレエ団(現在はベジャールバレエ)」はコンテンポラリーなモダンバレエが主な演目であり、ベジャール自身が振り付けをし、主役はほとんど「男性」でした。演目に選ばれる音楽は、ストラビンスキーだの、マーラーだの、ラヴェルだので、ニーチェの「愛と死が語りかけるもの」とか「春の祭典(生贄の儀式)」などが有名です。一番有名なのは男数十人に囲まれた壇上で踊るボレロかな。映画にもなった「愛と悲しみのボレロ」の最後を飾るジョルジュドン*3のボレロは圧巻です。
はっきり言って、高校時代に見始めたベジャールでしたが、無宗教である自分には理解を超越した部分は多かったです。それをベジャール的な特別な肉体、音楽だけで表現しているので、発信者と受信者の間にはきっと大きな溝はあったかもしれません。でも、それでいいかな、と。どだい、頭で理解しようとしても無理なんですもの。感覚で受け止められればそれでいいな、と思いました。そしてその世界に感動し、何かを受け止めて帰る、それでいいなと。
私は母を早くに亡くし、その死に立ち会っていたので、死ということについてはやっぱり自分なりの感覚を持っているかもしれません。
「猫、犬、金魚、人、自然、ただそこにある自分なりの死生観」(みぃくん語る)
そうですよね、だれしも自分なりの死生観を持っている。そうだよ、そうそう。みぃくんはよくわかってる!!
- みぃくんの文章
ちょっと痛いですね。やっぱり。声がそのままストレートに伝わってくる文章ですね。その上、詩です*4。韻を踏んでますよ、ちゃんと。
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- 価値観
- 死生観
- 道徳観
- 人生観
- 瞬間
ときてます。これがなんとも痛い*5
この最初の「観」の4つの感覚を「こんなもの達」、「”達”」って呼んでますよ。身内なんですよね。自分の中の大事な分身というか、全身というか、一部というか全部というか。「達」です!!*6
師匠がいつかどこかで、未來くんはまじめに考えすぎ!なんてちゃかしてた事あったような、ないような。そんな師匠もきっと未來くんと同じようにまじめに考えている人なんだろうなあ、って思いましたけど(笑)
未來くんって、本当に素晴らしい家族や恩師、知人に恵まれている人なんだろうなあって思います。大切に大切に育まれてきた、それでいて、しっかり自分で考えられるように育てられてきた、ご両親の偉大さ、大きな愛情を感じます。*7
ちゃんと痛い部分に向き合ってる未來くん、今度のオノッチはどうですか?
mmoohさんにトラバさせて頂きました!
http://d.hatena.ne.jp/mmooh/20050403